保育の柱

ときわの森の保育の柱


*子どもが真ん中にある*

子どもたちが真ん中に。それを囲んで心を寄せる大人たちが手を取り、環になり、ひとりひとりのそのままの姿を見つめている。
子どもは子どもとしてここに在り、大人は大人としてここに在る。
子どもたちは安心して、そのままの姿で立つ。

大人たちは、子どもたち各々のそのままの美しさを共に喜び、
目の前の子どもの姿を基に、それぞれの役割から、子どもの生活を整えます。

真ん中にある子どもから、すべてが紡がれるように。
為されるすべてに、愛情が満ちているように。

*子どもがそのときにふさわしいものを ふさわしいだけ経験していく*

子どもの今を点ではなく、線で捉えていきます。
目の前の子どもは、成長を続け、いずれ大人になります。
「今」を生きる子どもたちが、幼さを十分に楽しんで、「今」を生きられるよう、大人たちは長期的な視野で成長を見守ります。そうすることで、早過ぎも、遅過ぎもせず、多過ぎも少な過ぎもせず、一人ひとりの育ちに、今、必要だと思われる経験が見えてきます。その子がそのときにふさわしい分だけの、時に適った体験を得ながら、一日一日を積み重ねるところで、ありたいと願います。

*体験を大切に*

人との付き合い方も、自然との付き合い方も、生きていくあれこれの術を頭でなく、実際に体験し、身体で感じ、力としていくのが幼児期です。ふさわしい経験で、自身の五感を十分に使い、試し、感じることで「本物のもつ力」が、その子本来の育ちを助けると信じています。 生き生きと、「人と」「自然と」かかわり合い、くっつき合い、熱のある本物の美しさを吸い込んでいける毎日を、共に送りたいです。

また、自然な時の流れ、子どもの成長に添った生活リズムが刻まれること(自然であることの快さ、繰り返しから得る安心感、 静のリズム/動のリズム)を大事に、「自然の奏でるリズムに耳を傾け、身体を委ねる」暮らしかたを意識します。

*これらを実現するにあたり、それぞれの子どもの性質・性格、現在の状況、年齢による発達過程での位置を、個々に応じて考慮します。

異年齢の子どもによる生活集団であることも、「教える教育」ではなく、子どもが自ら学ぼうとする「意思を育む教育」を支える、大事な要素だと考えています。




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